Amami Oshima Island Quick Trip

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かねてより訪たかった美術館のリストに、またひとつ線を引くため、奄美大島へ渡った。
男、ひとり。気楽なものである。美術館の名は、田中一村記念美術館。

生前は画壇に評価されず、東京、千葉と経て、終の地となる奄美大島に流れ着いた画家、田中一村。奄美では画材の工面ができなくなるほどに困窮し、大島紬の染色工として生計を立てながら筆をとりつづけるも、畢竟、状況は変わらなかった不遇の作家である。

東南・南アジアを彷彿とさせる、目を見張るその建築物を目当てに、というところが半分。
残り半分は勿論、一堂に会する氏の作品を眼前に収めるために。

奄美大島の自然を精緻に、しかしドラスティックな構図で表した後期の作品が自分好みだと思っていたが、中期千葉時代とされている、余白の大きい花鳥の屏風に惹かれた。
口を糊するような暮らしの中、頼まれ絵を描いていた時代のものと知り、少しバツの悪い気持ちになる。

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カワハギフライ

自慢じゃないけれど、津々浦々飲み歩いてばかりいる僕ぐらいになると(本当に自慢にならない)、初めての地でも、良い飲み屋を見つけることはさほど難しくはない。
名瀬の中心地を走る、屋仁川通りから少し外れたところで海の幸を愉しんだ後、寝る前にもう一軒と、看板もない店を訪ねた。

奄美大島が鹿児島県所属の離島であるということは知ってはいるけども、現地で肌で感じたイメージはまさしく 、〈沖縄と鹿児島のあいだ〉 というような空気だった。
薩摩藩政時代の内地(本土)との言語的軋轢、南方からはサトウキビ栽培等の文化的伝播。どちらでもなく、どちらでもある。

もう店を閉めて一緒に飲みに行こうという店主と常連に囲まれ、その夜はついぞ一度も財布を出させてはもらえなかった。田舎はあたたかい、とかいう一義的でつまらないことは言いたくないけれど、結局最後まできちんと名前で呼び続けてくれたという事実が、朝になってもじんわりと胸をあたためていた。
二日酔い気味で目を覚ました僕は、2人ほど名前を忘れていた。すんません!

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ソテツ・バショウの群生地

「タカヒロの話を聞いてるかぎりさ、いわゆる観光地みたいなところは合わないよな。
ちょっと地味だけどさ、モダマの自生地とかがいいんじゃない?」

市の観光課に勤めているという、昨晩の常連の言葉を思い出す。

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メインロードの58号線を逸れるの図

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ハートを形どった岩石群や、マングローブ・カヌーイングよりこちらを勧めてもらったことは幸運であったようだ。ときおり響く鳥の鳴き声と、春の昆虫の気配。ちいさな滝の音の隙間から漏れ聞こえるものはそれぐらい。心洗われる静謐さは疑いないが、むしろ生命の狂気のようなものを感じた。ねじり、絞める。

恐らく、田中一村はこの景色を見てはいなかっただろう。居住区とは離れているし、モダマが描かれた作品も(今のところ)ない。力強い印象のあるモダマも、現在は絶滅危惧種IA類に指定されている。
どこか、一村と重なるところがないだろうか。

『「奄美のあとは、北海道で北国風景をかく予定です。そして最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と千葉を出るとき身内に語っていた。一村に、経済的、体力的余裕が残されていたら、あるいは北国の雪を描いた、白の世界の作品群が生まれたかもしれない。』
(田中一村伝/南日本新聞社編)

奄美の溢れる生命の喧騒のなかで、遥か雪国を想っていたらしい。
マメも、ヒトも、見かけにはよらない。

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