砂漠に何をみる

この世界を孤独の状態から外に送り出させるもの、この世界をより豊かならしめる動機、それが愛である。愛がなければこの世界は非活動的な、死んだ孤独にすぎない。愛は孤独と相対的な言葉だが、決してその反対語なのではない。愛の中にも孤独があるし、孤独の中にも愛がある。人が意識して生きようと思う場合に、僕等は絶えず心の中に二つのもののバランスを繰返す。無意識に生きることは、殆ど生きることではない。そして孤独を意識する時に、僕等は必然的に愛を求め、愛によって渇きを潤そうとする。人は愛があってもなお孤独ではあるし、愛がある故に一層孤独なこともある。しかし最も恐るべきなのは、愛のない孤独であり、それは一つの沙漠というにすぎぬ。

福永武彦著『愛の試み』より

なぜか今週末は砂漠という言葉をよく目にした。普段とっていない新聞の投書欄、たまたま書棚から手にとった安部公房、たわいもないTwitterのつぶやき。砂漠、沙漠、さばく。

多分自分が意識的に追っているのだろう。そしてその“導かれた偶然”に何か意味を見出そうとしているのだろう。やめよう、砂漠にはなにもありはしない。砂漠にはなにもないんだ。

ああ急に飯田華子さんの紙芝居を思い出した。千夜一夜物語のアラジンを思い出すあの紙芝居。この人は僕が出会った数少ない紙芝居士の中でも、もっとも素晴らしい人の一人であった。また観たいな。


ほら、砂漠には愛さえない。ラクダと盗賊くらいはいるかもしれないけれど。

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