『ヒミズ』

去年の5月上旬、宮城県名取市を訪れたときに目にした光景をいまでも時折思い出す。あるいは、思い起こさせられる。感情が、映像が、匂いが、空気が、それこそ、寄せ来る、波の、ように。
襲いかかり、流れ着き、そして奪い去っていく。 そこには猶予や、譲歩や、容赦なんてものは存在しない。その波は、常に現実的な痛みを伴う。どどーん。ぐしゃーん。ざざーん。

写真や映像にはどうしてもフレームが存在する。たとえパノラマ写真においても。物理的に切り取られた世界はその枠外を想像させこそすれども、僕達の目は決してフレーム外の現実を認めない。「それでも。映画という、映像という手法を用いながらも、できるかぎりフレームレスな現実を見せたい」、そんな思いがこちらに伝わってくる、永遠と続くかのような横移動の長回しで被災地を映し出すシーンから、映画『ヒミズ』は始まった。

などと前置きをしておきながら、この映画は東北地方太平洋沖地震、あるいは東日本大震災をテーマにした作品ではない。原作を読んでいないのに言えることではないけれど、恐らく原作を忠実に再現した類のものでもないだろう、と思う。撮影中に震災を経験し、脚本が大きくリライトされたというようなことも耳にした。

僕は震災関連作品マニアでも古谷実好きでもなければエログロ映画好きでもなく、単純にミーハーな園子温好きとして自身の『劇場へ足を運ぶ映画リスト』に数ヶ月前から予約席をとっておいたのだけれど、公開までのあいだに読んだ園子温監督へのインタビュー記事を読んで尚期待が高まったのを覚えている。以下引用。

園子温監督:
全体的に僕はこの映画に、今までの映画、僕の作り続けてきた映画とは明らかに変わっていかざるを得なかったという状況があったということです。僕は非常に、人間って言うのはこんなもんだよという絶望的な姿を丸裸にするような映画を撮り続けてはいたんですけども、それだけではもうやっていけないなというのが3.11以降の自分の映画のあり方で、それをやっぱり「ヒミズ」は自分の中の映画史、映画を作り続けてきた中で非常に転向したというか変わらざるをえなかったということです。それは1ついうと絶望していられない、へんな言い方で言うと希望に僕は負けたんです、絶望に勝ったというよりは希望に負けて希望を持たざるをえなくなった。だから簡単に言っちゃって、「愛なんてくだらねえよ」って言ってたやつがすごい人を好きになって、愛に白旗を揚げた、愛に敗北。そういう意味ではもう絶望とかはいってられなくなったなと。それは絶望に打ち勝ったというよりは希望に負けたという。希望を持たざるをえなくなったなという。これからはただ単純に絶望感だけではやっていけないっていう、そういうテーマです。それは誰かを励ましているわけでも、だれかをけなしているわけでもなく、そういう今、非日常を生きていく決意を新たにこの映画で刻んでいこうという、それがテーマですから。
”希望に敗北した” 園子温監督「ヒミズ」を語る | NHK「かぶん」ブログ:NHK


“希望に負けた” 、痺れますね。

というかここまで文章を書き進めてから前述のインタビュー記事を探しにネットの海にダイブしたんですが、ふとNHK「かぶん」ブログの該当記事を再読していたら園子温監督の回答と僕の感想が一部コピペ級にかぶってしまっていてもう文章書くモチベーションがなくなりました。嬉しいやら悲しいやらです。いや悲しいです、とても。

まぁ当ブログは映画の批評だとか内面世界を説明だとか、そういう高尚な、あるいは限定的な話題を提供する(できる)場ではないので今回もぼんやりと。更新ペースと文章の質は反比例していくものだってみんな分かってくれるよね?という言い訳がましい気持ちを胸に。

いい映画でした。劇場までわざわざ観に行く価値がありますので、みなさんもぜひぜひ。
「がんばれ」ってこういうことだよな、と。それは決して、声にだしてはいけない種類の言葉なんかではないんだな、と。そう思える映画でした。俺たちも、立派なおとなになろうぜ。

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