Tenemos que tomar vino, ¿verdad?

 

 何もない時間の辛さに堪えかね、来週から違う大学でいくつか授業を取ることになりま  

 た。次のサマータームのスタートと微妙にかぶる上に、スプリングタームの最終試験前々

  日からスタートするという最悪のタイミングなのですが、それでもなお時間を持て余すより

 はまだ有意義なような気がするのです。一度火を灯したキャンドルが、なりふり構わず

 最期の瞬間まで駆け抜けて行くように、もう立ち止まるべきではないような気がしたので

 す。燃えて、身を削って、ピリオド。そんな具合に。 給水ポイントの必要がないように。

 

よくよく考えてみると、実際的な夏休みはもとよりウィークエンドとしての休みも特にはないことに気づきました。

別段週末ごとに夜の街へ繰り出しているわけでもありませんし、今から11月の終わりまでは長期的な休みと呼べるようなものは

影も形もありません。そして土日を消費している主な理由は、勉強という名で呼ばれるものであるのです。あな恐ろしや。

 

夏休みの間どこかへ旅行でもしようかなと思っていたのですが、冒頭の理由によりそれも現実的なものではなくなってしまいました。

おそらく、夏期中は今いるマニトバ州を出ることすら叶わないでしょう。家、学校、スーパーという恐怖の日常スパイラルです。

 

いや、よく考えてみると瞬間的にも、このルーティーンを脱する機会がありました。11月上旬にアメリカはボストンへ行くのです。

しかしそれも就職活動の一環であり、特に羽を伸ばせるわけでもありません。せっかくなら数週間はいたいものですが。

 

しかし、残念ながら今のところ就職したいような企業は見つかっていません。もちろん、そのボストンでのフォーラムにおいてですが。

ある時までは、就職先決定の一つの目安として給与を考慮に入れていました。しかし今となってはそれは特に重要ではないような

気がしたのです。

 

僕もつい先日までは、所得をある程度重要視しながら就職先を考えていたクチだったのです。その他大勢と同じように。

せっかくなら比較的いい暮らしがしたいし、そのためなら自分のやりたいことなど多少無視してしまっていいではないかと。

 

けれど、ちょうど昨日その考えに根本的な疑問が投げかけられることとなったのです。

それはサルサバーでの偶発的な出会いが始まりでした。その日僕は一人のメキシコ人と出会ったのです。

 

僕が今いる地域では、公用語は英語だけと言えます。そして、次に名が挙がるものとしてはフランス語となるでしょう。

そんな場所柄にも関わらず、僕はスペイン語しか話せない男性と出会ったのです。週末のクラブ兼バーというような場所で。

始まりは乾杯のために杯を交わしたことからでした。

 

チアーズ!とコップをぶつけ合い、それを一口で飲みほしたあと僕らは少しだけ話し合いました。

 

会話と言えどもたかが知れています。僕のスペイン語の知識など、英語のそれよりはるかに劣るものなのですから。

動詞の活用を間違える時もあれば、単語の意味すらもはき違えることがあったに違いありません。

しかし、そんな無意味とも言える対話においても完璧にくみ取れたものはあったのです。

それは、「僕の人生には音楽だけが必要なんだ」という彼の言葉でした。スペルミス怖いので、原文は書きませんが。

 

 

もちろん、それは大した台詞でもありません。それが本心によって生み出されたものなの

か、その場の空気によってもたらされたものなのかすらわからないのですから。

しかし、それでも尚。僕にはそれを疑うことはできませんでした。

真実彼は初めから終わりまで、ただただ踊り続けていたと言っても過言ではなかったので

すから。ギターと、たった二種類の打楽器というささやかな友を連れて。

 

さよならの言葉も交わさずに僕らは別れました。「僕は次はワインが飲みたい!」それが僕の残した最後の言葉であり、

「いいね!ワインはメキシコでも、hifagnajkljg。俺もワイン飲む!」(途中聞き取れず) それが僕の耳に残る最後の彼の言葉

でした。そのチリ産の赤ワインを一口で飲みほし、ダンスフロアへと向かった後姿だけが今でも忘れることができません。

 

次の朝、目が覚めた時僕の価値観はすっかり様変わりしてしまっていたのです。その胡散臭い赤の他人のメキシコ人によって。

それは、半端な言語の理解というものがあってこそもたらされた大いなる誤解であった、とも言えるかもしれません。

同じことを生粋のカナダ人、あるいはアメリカ人に英語で言われたとしても、ここまで心揺り動かされることはなかったでしょう。

それを抜きにしたとしても彼は掛け値なしにダンスや音楽を楽しんでいましたし、僕はそれに強く影響を受けてしまったのです。

 

ちょうど次の日、死ぬ夢を見ました。語幹から感じるそれとは異なり、決してネガティブではない夢を。

結局いつかは死ぬんだし、そのプロセスなんてどうでもいいじゃないか。好きなだけ楽しめよ、という夢を。

その中に例のメキシコ人が出てくることはありませんでしたが、彼の残り香は確実に僕の夢の形成を手助けしていたでしょう。

 

そして僕は今、途方に暮れだしたのです。これから40年近く過ごすかもしれない場所を、たった数日で決めてしまっていいのかと。

転職という可能性を考えたとしても、たった数年間の気持ちの揺れ動きによって、僕の人生の大半を形成してしまっていいのかと。

 

 

 人類が生まれ、数千年が過ぎ。何百億人もの人間が悩んできたであろう瑣末な、そして普遍的な

 悩みにぶちあたっています。 今という暫定的な瞬間に生み出された気まぐれに、これからの人生を

 委ねてしまうべきなのか。それとも社会通念という、統計的な正しさを追随するべきなのか。

 

 どのような文脈における正しさにしても、結局のところ現時点における価値観を揺るがすことは

 難しいのでしょう。しかしあるいは、次にバーで会うのがハーバードMBA取得者現ゴールドマン

 サックストレーダーだとしたら、僕のささやかな価値観は再び吹き飛んでしまうのかもしれません。

 

 

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Tenemos que tomar vino, ¿verdad?” への7件のフィードバック

  1. watashi wa WINE ka daesuki de su

  2. nicha> you definately should say, watashi wa taka ga daisuki de su. practice harder! lol

  3. お久しぶり。元気ですか?異国の地で頑張っているようですね。仕事のこと、これからの未来のこと、自分らしい生き方、色々と模索中というところでしょうか。
    私は地方公務員という(何とも自分に似合わない)職に就いてから一年以上が過ぎました。仕事内容はともかく、正直職場が肌に合わない・・・というのが本音です。今、この仕事に固執したまま生きていくか、やっぱり自分らしくまた新たな道を拓いていくか、そんな選択肢が毎日のように頭の中をめぐっています(決してネガティブな感じではないんですがw) 自分らしい生活・自分が誇りをもてる仕事って永遠のテーマですね。あなたのブログにもあったように、誰かの些細な一言で考えが一転することってある、きっかけって突然やってくるものです。
    様々な出会いを大切にして、そして体に気をつけてガンバッテね☆☆☆niwano    http://nmnlaya.exblog.jp/

  4. たかひろは好きなことをやってくんだろうと思ってたよ。
    お金とか考えてたのは意外でした。
    入る前から転職考えてるあたしもどうかと思うけど、人生いろいろありさ。
    守りに入ったあたしが言うのもなんだけど。苦笑
    スペイン人のようにアツくがんばってください。

  5. niwanoさん>コメント嬉しいです!こっちに新ラップトップ持ってきたんで、ブログのURLも助かりました。虫歯になったら連絡しようかと思ってたんですが、結構遅かったみたいですね。僕もポジティブに悩みたいものです。これからもよろしくお願いします。
     
    mayu>まぁ、もちろんファーストプライオリティーなわけじゃないんだけどね。なんか近づくにつれて少し上がってきただけで。冬やっぱりメキシコに行くとかどうよ?誘拐されに。

  6. なんで誘拐されに?!
    日本からだと遠いしたかいよ=3

  7. mayu>ですよね。でも一回は行きたいなぁ。来年行けるかなぁ。

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