ベクトルの先と僕

今日、久しぶりに親友の一人にメールをしました。これは最後の行の最後のフレーズです。
 
 「お前には負けない」
 
これが自分の愛用する慣用文の一つであることに気づいたのは少し昔のことです。
 
そして、勝負事でもない日常においてそんな科白を吐く理由に気づいたのは最近のことです。
 
 
対象との親しさを問わず、僕にはこの種の感情がひっそりと芽生えるようです。
 
一度しか面識のない人、毎週のように顔を合わせている人、昔会ったきりという人。
 
その科白を言葉に出して伝える場合もあれば、心の内でひとり呟く場合もあります。
 
 
そしてあるとき、前者の方法で二人称に話したときにこう返されたのです。
 
 「よく言うけど、何に負けないの?」
 
僕はそのとき具体的な回答をすることができなかったと記憶しています。
 
 
しかし前述の通り、今となれば僕はその科白が喉から流れ落ちる理由と、具体的な回答ができます。
 
 僕は既に、彼(あるいは彼女に)負けているからであると。あるいは負けを自覚しているのだと。
 
 そして僕が負けている、あるいは負けていると感じているのは人生そのものであると。
 
 
幸運なことにも、僕がその感情を胸に抱くのはそう多い人数ではありません。
 
全て数え上げてみても片手の指を少し超える程度です。
 
けれども僕はこの人たちに対して、劣等感のようなものを覚えずにはいられません。
 
 この人の人生の方が、僕のそれよりも素晴らしいものなのではないか
 
 
悔し紛れに、そして馬鹿の一つ覚えのように言い続けるのは随分と悲しいことです。
 
僕はそんな人たちのように生まれ変わろうと努力をしたこともあります。
 
しかし、あまりにもそれぞれのベクトルは異なっていて、共通項は見当たりそうもありません。
 
 
あるものは海外留学経験があり、あるものは窃盗の経験があり、またあるものは僕より年が下です。
 
大部分は東京出身で、二人は地方出身です。東京在住なのでこれは統計学としてフェアじゃない。
 
その中にはA型とB型とO型とAB型の人間がいます。
 
そしてその全員にある、唯一の最小公約数は「僕よりクールである」という点です。
 
 
きっと僕は明日からも言い続けることになるのでしょう。あるいは心の中でさえも。
 
 
全ての試合に勝ち続けるボクサーが存在しないように、それ自体は意味の無いことでしょう。
 
ただ、僕は少しでもその人たちに近づきたいと思っています。今日も明日も試合に負けながら。
 
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ベクトルの先と僕” への2件のフィードバック

  1. 大丈夫っす。充分素敵な人生を歩んでいると思いますよ僕としては。

  2. おー、久しぶり。そんなことはわかってるから平気だよ。むしろ見習うがいい。

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