いってきまーす

運動会とか、体育祭が嫌いになったのは小学校5年生のころが始まりだと思う。
僕はその時分から体型が丸くなり、走るのがとても遅くなってしまったからである。
よりにもよって、運動能力の高さがそのままその人間の価値の全てのように思える時期に。
 
中学校に入って、体型は再び劇的に変わった。
丸い丸いと言われていた一年後には、ひょろひょろという表現が似つかわしい少年へと。
走り方を忘れてしまった、と言うと聞こえは良いが、とどのつまり中学生になっても走ることは苦手だったのだ。
 
新たな世界の幕開けでもある高校では、二年間走り続ける体育の授業が待っていた。
50m、200m、2000m、ハードル、と苦痛以外の何ものでもなかった。
よくあの遅さで体育が4でありつづけたのか不思議なくらいである。
 
不思議なもので、あれほど忌み嫌ってきた「走ること」が、そう嫌なものではないと感じたのも
高校のころだった気がする。
 
つまり、走ることでなく、競うことが嫌いだったのだ。
タイムや相手や自分などと。
 
夜が更け、家族が寝静まり、ただ月の光だけが煌々と照らす真っ暗な世界の下
誰と競い合うでもなく、ひとり走った。
距離はそれほどのものでもないし、もちろん速いペースで走るわけでもない。
 
学校でのそれとは違い、爽快感がそこにはあった。気持ちの良い疲労もあった。
単純に嬉しかった。
 
そのことに気づいてから週に一、二回暇を見つけては夜に走っている。
特に、自分が行き詰ったときに。
 
これから、とか
現実、とか
友情、とか
恋愛、とかに対して
 
走っている時は考える余裕なんて全然無いので、結局何も明確な答えは出やしない。
でも、走らないでいるより走り始めてしまったほうが何かと気が楽になるものだ。
馬鹿の考え休むに似たり、と人は言うが、僕の場合馬鹿の考え走るに似たり、というようなところか。
 
さぁ、走ろう。
 
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